第三話 本当の恋

 バレンタインスペシャル企画

アクセサリーが繋ぐ、あるひとつの物語
- A story about Valentine's day -
全4話(1話完結型) 完全オリジナルストーリー

それぞれの物語の中に
whoseAのアクセサリーが潜んでいます。
バレンタインに限らず、大切な人と過ごす時間や
大切な思い出に触れる
小さなきっかけになりますように。

第三話

本当の恋

 

 

 

触れたら火傷しそうなオレンジから、淡く紫がかったモーヴピンク、そこからブルーの風合いを重ねて深い海底のネイビーへと、夕方の空はグラデーションになっている。

ベランダに出た瞬間に、頬にぶつかる風が凍るように冷たい。
暖冬だと油断していたら、2月になっていきなり寒さが猛威を奮い出した。

どうしてそんな時期にベランダに出ているのかというと、感傷的になっているからだ。

ひとつの恋が今日、始まりもせずに終わった。

それなりの期間友人をやってきたけれど、最初に出会った時のことを今でも覚えてる。
夜中の23時を回った頃にインターフォンが鳴り、酔っ払った会社の同期がいきなり尋ねてきた。
そういうことはこれまでもあったので、(またか)と思いながら玄関を開けると、その後ろに隠れるようにしてもう一人立っていた。

「夜分遅くにすみません」
と、ひょっこり顔を出したその人はすごく綺麗なヘーゼルナッツ色の瞳をしている。
会社帰りでスーツ姿の同期とは違い、とてもラフな格好をしていた
シンプルなTシャツの首元には、一方がフックで長いチェーンに引っかけたようなデザインの長いシルバーネックレスがぶら下がっていて
それがとても印象的だった。

「一緒に飲んでたんですが、酔っぱらわせちゃって。近くにお友達の家があるから行くというので一応、送ってきました」

「あぁ、えっと。それはどうも」

知らない人間を人の家に連れてくるなよ、と同期に悪態をつきたくもなるが今言ってもどうせ覚えていないのだろう。

到着してからこの酔っ払いは、一言も発することなくただ楽しそうに目を閉じて笑っている。もはや半分は夢の世界に行っているのだろう。

同期を引き取るが、脱力した酔っ払いは重い。
よたよたしているのを見かねて、その人も手を貸してくれた。
なんとか二人がかりで酔っ払いをベッドに寝かせると、喉が渇いたので缶ビールを飲むことにした。その人にも一本渡した。

「一人でここまで送ってくるの大変でしたね」

「近くだったんで。それに、ここの玄関の前まではちゃんと歩けてたんですよ」

気が抜けたんですかねぇ、と気の抜けた声で言うので笑ってしまった。

同期とはよく行くバーが同じで、同い年なので会えば話すのだと言う。
バーの名前を聞くと、同期に連れられて何度か行ったことのある店だった。


「あのバーは、住んでるところから近いわけじゃないのに、いつも夜遅くまで飲む人だなぁと思ってたんですよ。そっか、こんな避難所があったんだ」

ヘーゼルナッツの瞳が三日月のように弓なりに丸くなって、花がほころぶみたいに笑う。
その笑顔とビールのおかげで、こちらの緊張はだいぶほぐれていた


そのまま、好きな映画の話や音楽、小説の話をした。同期は芸術関係には疎いので、こういう話が出来ることを単純に嬉しく思った。


たぶんもう、この時には恋に落ちていたんだと思う。
その人の指先が、缶ビールについた雫を拭う仕草とか、何かを思い出す時に瞳だけ上を向く癖とか。

その日その瞬間のその人のことが、今もこんなに鮮やかに残っている。

「また来なよ」と言ったのも、恋のせいだったんだろう。


それから何度も、3人で集まった。

バーにも行ったし、違う居酒屋にも行ったし、たまにはそれぞれの家で集まったりもした。

映画だけは2人で行った。
それは嬉しくて、なんだかドキドキして、それでも平静を保つように努力したりして、そして最後はやっぱり3人で集まった。
その人はいつも首元に、シルバーの長いネックレスを着けていた。
それがトレードマークのように感じて、そういうデザインのネックレスを見ると妙な愛着を感じたりもした。
そうやって3人でいる間、不思議と誰にも恋人は出来なかった。

「だって、こうやって遊んでる時間が楽しいんだもん」
「わかる。居心地が良いんだよね」
「やばい、もう恋愛の仕方忘れたかも」


そんな風に3人で笑って話しても、ずっと心の奥には恋があった。
でも恋人になりたいとか、そういう気持ちではない。
どこがどう好き、とも上手く表現できない。
だからこそ、本当の恋のような気がしていた。



バレンタインの今日。
「どうせ誰も予定ないでしょ?」ということで、仕事の後は我が家で集まることになっていた。
昼過ぎに差し掛かったあたりで、今夜の3人分のおつまみをどうしようか、なんて考えつつ仕事をしていると社内の電話が鳴った。

受け取った新人の女の子が「えっ!」と声をあげて、すぐに上司に受話器を渡した。
不穏な空気を感じ取りつつ、聞き耳を立てていると同期の名前が出て、その後に「事故」と聞こえた。

社内がざわつく。
スマホを手にとり、あの人に「今日は無理かも」と送った。
こちらも動転していた。送ってから情報が少なすぎることに気づいて、同期が事故にあったかもしれないこと、詳細はまだわからないということを続けて送った。

電話を終えた上司に近づき「何かありました?」と聞くと、同期が取引先からの帰社中に自転車とぶつかったことがわかった。
大きな怪我はないらしいが、足を捻ったかもしれないので念のため病院に寄る、という本人からの連絡だったそうだ。

命に関わるような事故ではなかったことに安心して、またスマホを開くと「病院教えて」というだけの短いメッセージが来ていた。
上司に聞いた病院名を伝えるとすぐに既読がつく。
しかしその後、「でも捻挫だけらしいよ。そんなにひどい怪我じゃないみたいで良かった」とスタンプをつけて送ったメッセージには、しばらく経っても既読はつかなかった。

「捻挫して歩きづらいかもしれないし、今日は大事をとって直帰にするから、荷物を受け取りに行ってやってくれ」と上司に言われたので、すぐに会社を出た。

電車に乗って、病院近くの駅で降り、改札に向かっている途中で風のように横を駆け抜けていった人がいた。
後ろ姿だったけど、いつも着けている首元の長いシルバーネックレスが左右に大きく揺れているのが見えた。


急に、「そうだよね」と思った。

きっと自分も、あの人が事故に遭って怪我をしたって聞いたらあんな風に走る。

無意識に体が動いてしまう感覚が、とてもよく理解できてしまった

本当に好きだと、自分で自分がわからなくなるものなのだ。

気づくと歩く速度が遅くなっていた。

好きな人の好きな人を知ってしまって、今からあの2人と病院で会うのか。という憂鬱な気持ちと、少しでも長く2人の時間を持って欲しいという応援するような気持ちが、心の中にあるような気がする。

気がするだけで、自分の本心がどこにあるのかなんて全然わからなかった。
本当に好きだと、自分で自分がわからなくなるから。

なるべくゆっくり歩いたつもりでも、歩いていれば目的地に着いてしまう。
大きな総合病院の待合ロビーで2人を見つけると、「やっほー」と無理やり笑った。

その声に気づいて、好きな人がごしごしと目をこする。
それには気づかないふりをすることにした。

同期に「このまま直帰していいから、荷物預かるね」と伝え、隣で少しうつむくその人には「来てたんだ?メッセージ見てないでしょ。大した怪我じゃないって送ったのにー」と努めて明るく言った。

「ごめん、急いで来たからメッセージ見れてないんだ」

そう言う人の頬には涙の後が見え、さっきこすったせいで目の周りが少しだけ赤く腫れている。
同期はバツが悪そうに苦笑いを浮かべて「心配かけてごめんね」と言った。
「大きな怪我じゃなくて良かったよ」そう言ったのは、本心だった
同時に、早く立ち去りたいと思っているのも本心だった。

受け取る荷物を手際よくまとめながら、「早く、会社に戻らないと」と言う自分の声が、どこか芝居がかっているように聞こえて、いつもよりも早い速度で心臓が脈打っていることに気づく。

だから次の言葉は慎重に、いつも通りに聞こえるように、緊張しながら発した。


「あ、そうだ。やっぱり今日はやめておこうね。お酒飲めないしね


そして今、寒いのにベランダに出て空なんかを見上げている。

夕方から夜に変わるグラデーションを注意深く見つめていないと、泣きそうになるからだ。
頬が冷たい。耳が痛い。ベランダの手すりをつかむ左手の指はかじかんでいる。

右手には、今夜振る舞おうと思っていたベルギーのチョコレートビールを持っている。
寒すぎて全然飲めないことが可笑しくて笑えてくる。

そうだ。大丈夫だ。全然まだ笑える。


別にこの恋が最後の恋じゃない。

この恋が、本当の恋だったとしても。

どうしても、相手の幸せを願ってしまう。そんな恋だったとしても





end.

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