最終話 それぞれの答え

 

 

 

最終話

それぞれの答え

 

 

 

高校の同級生が結婚するという話を聞いて「いいなぁ、結婚」と、思わず出たのは本心からだった。


神様の前で永遠の愛を誓い合うということは、もうその人以外に恋をしなくて良いということだ。
大人をもう何年もやっていれば、
恋には、ほとほと疲れ果てている。

会えないと寂しくて、少しでも顔が見たくて、顔が見れないなら声が聞きたくて。あんなに自分が自分でいられなくなるような非合理的で不条理なもの、他にはない。


バレンタインのおかげで、嫌でも「恋」や「恋愛する人々」のことを思う時間があった。

勤めているアクセサリーブランドのショップにも、この時期はカップルがよく訪れる。

 


だからその日、最初のお客さまは少し周りとは雰囲気が違っていた
入り口から2歩くらい離れたところに細長いシルエットの男の子が1人立っていた。大学生くらいだろうか。レジカウンターにいた私から遠目に見ても、とても綺麗な瞳をしているのがわかる。
その綺麗な瞳で睨むように見つめているのは、どうやらバングルのようだ。
店内を横切り、入り口の辺りから声をかける。


「よろしければ、店内をご覧になってくださいね」



そこで初めて、私が近づいていたことに気づいたようでビクッと1歩後退りしてしまう。



「いえ、あの…」



「あちらのフックチェーンバングルですか?お持ちしましょうか?

「いいんです…!あの、知り合いが…着けていたものだったので…

とても苦々しい表情でそう言う姿には、どこか哀愁があった。

 



「お知り合いの方はセンスの良い方なんですね」

「えっと…恋人からのプレゼントだったそうです」

「素敵ですね」

「彼女っぽくない感じだったんですけど…似合ってました」

「フックのモチーフのデザインは、『繋がり』をイメージしてデザインしているんです」



「『繋がり』…」


「シルバ−925という、変色しづらくて長くご愛用いただける素材を使用してお作りしていますので、「長く一緒に」と想われる方にプレゼントされたのではないでしょうか」

 

うつむいた彼が発した「そっか、大切にされてるんだな…」という独り言は、聞こえないふりをした。

次に顔を上げた時には、彼の綺麗な瞳が少しだけ輝きを増している

 


「本当に…素敵なプレゼントですね。
僕もいつか、そんなプレゼントをする相手を見つけます」



オドオドしていた雰囲気も消え、最後にこぼれた笑顔は眩しいほどだった。

あぁ、恋をしていたんだな。と、わかった。

「好き」とか「愛してる」という想いが、必ずしも良い恋であるとは限らない。そもそも良い恋なんて存在するのだろうか。
辛さや悲しみを滲ませながらブレスレットを睨んでいた彼の横顔をもう一度思い出す。


好きな人を見つめる時、本当に「好き」の気持ちだけでいられる期間はどれくらいのものだろう。今までの恋は、いつの間にか嫉妬や悲しみに覆い隠されて、苦しくなるような恋ばかりだったように思う。
言葉や仕草で何を伝えても、気持ちの1%も伝わっていないような気がする。
正しく全てを伝え切るということは、どんなに想いがあっても難しいことなのだ。



ただ恋が終わるなら、いつかは綺麗な思い出になって欲しい。
本当に最初の「好き」と思った気持ちだけは純度100%の透き通るような美しさだったのだから。

 

 


昼休憩の間に、賑わうスイーツショップで自分用のチョコレートを物色することにした。
可愛らしいチョコレートたちは見ているだけでも癒される。
特に気に入った猫が描かれたパッケージのチョコレートを購入し、家に帰ったら食べようとウキウキした気持ちでショップに戻る。
バックヤードに荷物を置いて店頭に出ると、カップルがリングの並んでいる棚を見ていた。


「よろしければ、お試しになりませんか?」

と、声をかけると、艶やかな黒髪が印象的な細身の男性が、隣にいる身長の高い男性の節くれだった手をずいっとこちらに見せながら「これと似たようなものが欲しいんですけど」と言う。
左手の人差し指に付けられたリングは、確かにうちのブランドのメルトリングだ。

「似たようなものですと、こちらですね」

トレイにいくつか載せて見せる。
黒髪の男性はメルトリングシリーズのフリーサイズのものや、幅広のものを試し、一緒にいる男性が着けているメルトリングと見比べたりしながら、小さく「うーん」とうなったりする。



「あ、これいいね」



明るい声を出したのは、身長の高い方の男性だ。同じシリーズでありながら、少しだけテイストの違うメルトワイドリングを手に取ってにこにこと笑う。
「俺も新しいの欲しくなっちゃうなぁ」と言ってから、なんとなく(しまった)というような顔をしたことに、隣にいる黒髪の男性は気づいたのだろうか。

「いいじゃん。試せば?」

素っ気ないように言って、「この人、関節が太いんですけどサイズあります?」とこちらを見る。

「ご用意があるのは14号、15号、17号ですね」

サイズを3種類トレイに載せて見せる。
身長の高い方の男性は一番大きなサイズの17号を手に取り、左手の人差し指や中指に試してみるがどうしても関節で止まってしまう


苦笑いで「合わないかな…」と、私が持っているトレイに返そうとした時、黒髪の男性が「薬指は?」と言った。

 


「えっ」



自分で思っていたよりも大きな声が出たらしく、身長の高い男性は口元に手を当てて周囲を見回した。体格の割に可愛い仕草に、思わずこちらも笑みがこぼれてしまう。

「どうぞ、お試しください」



おずおずと左手の薬指にメルトワイドリングを試すと、ぴったりだった。

「うん、いいじゃん」

黒髪の男性は満足そうに言いつつ、14号を手に取ると自分の左手の薬指に収めた。



「えっ!」



さっきよりも大きな声を上げた身長の高い男性は、今度は口元を隠すこともせずにぽかんとした顔だ。



「俺たちこれにします。一応、ラッピングお願い出来ますか?」

「かしこまりました。お買い上げありがとうございます」


微笑ましい気持ちでレジカウンターに案内している間も身長の高い男性の口元は開いたままだった。


会計とラッピングの間に「バレンタインのプレゼントですか?」と話しかけてみる。
黒髪の男性は「いや、そういうわけじゃないんですけど」と言って、身長の高い男性を見上げた。
見つめられた身長の高い男性は、その後の言葉を引き継ぐように言う。
「二人でシェアできる指輪を買いにきたんです。でも、似合ってたし、同じものを着けるってやっぱり良いなって思えました」

 

「俺たち、日本では結婚出来ないので左手の薬指に指輪をつけることにずっと遠慮があったんですよ。結婚してない俺たちが薬指に指輪をつけることが、嘘をついてるように感じてしまって。でも、もっと気軽に考えても良いのかもしれないですよね。
俺はこの人と一緒にいたいし、その気持ちを指輪で表現したって良いし。何より、似合ってたし」


見つめあって微笑み合う姿に、私も心が温まる。



「誰が誰を愛しても良いですしね」小声で発した言葉が二人に聞こえたかはわからない。
ラッピングされた指輪を受け取ってショップを後にするその二人の背中に、幸せが滲み出ていた。

 


去っていく背中を見送りながら、恋は美しいなと改めて思う。
けれどそれは、他人事だからそう感じるのかもしれない。
美しいだけの恋なんてきっと無い。幸せそうな彼らにも、苦悩や葛藤がある。
本人同士の想いだけで完結できることばかりでも無いのだろう。

 


私に恋人はいない。それを寂しいと思うことも実はそんなに無い。
好きだと思える仕事をして、自分のために生きている。
そもそも、恋をしたいなんてつゆほども思っていない。
なのに、もう恋なんてしないとも言い切れないのが恋の嫌なところだ。

バレンタインに関して言えば、誰かの恋を蚊帳の外から見ているだけで良いのは気楽で、その後もプレゼント用のラッピングなどをしながら温かい気持ちになったりして、少し浮かれた。

 


浮かれた気持ちのせいにして自分にプレゼントを贈ることにした。
ずっと狙っていたフックチェーンネックレスだ。

終業後、フックチェーンネックレスの包装をほどいて、スタッフルームの鏡の前で着けてみる。しゃら、と細いチェーンが揺れる様が美しい。
たまたま着ていた黒のタートルネックによく映える。


このまま家に帰るだけなのも少しもったいない。と思い、珍しくバーに立ち寄ることにした。
バレンタイン当日の21時過ぎ。街中は賑わっていたけれど、地下にあるこのバーはいつも通り空いていた。カウンターの奥の方に先客がいる。
たまに見かけるメガネをかけた男性だ。
いつもは友達と2〜3人で
来ていることが多いけれど、今日は一人だった。平日だけれど、スーツではなくカジュアルな服装をしている。

「好きなところへどうぞ」とマスターに促され、男性から2席離れたところに座ると「あっ」と小さな声が聞こえた。

その男性が発したものらしい。何かあった?と思ってそちらを見ると、私を見て固まっている。



「どうかされました?」

見ているのが首元なので、少し不審に思いつつ聞いてみた。

「あ、えっと…」

目を丸くしながらこちらを見つめたまま、その瞳から涙が一筋こぼれた。

「えっ!?」



慌てたのはこちらだ。

大の大人が急に泣き出すなんて何事かと、席
を立ってその人のそばに寄りハンカチを差し出した。


そうしている間にも、涙は後から後から流れてくる。
「すみません…」と言いながら、遠慮がちにハンカチを受け取って片手でメガネを外すと乱暴なくらいに目に押し当てた。


「大丈夫ですか?」



自分でもどうしてそんなことをしているのかわからないけれど、猫背になってしまったその人の背中を優しくさすっている。



「今日…失恋したんです。
好きだった人が…その…あなたと同じネックレスを着けてて…」



心の中で(あちゃー)と言った。バレンタインに浮かれて自分にプレゼントなんてしてごめんなさい、とも思ったが、いや私に非は無いだろうとすぐにその気持ちをかき消す。



ほんの数分、その人は静かに泣いた。

最後に大きく息を吐くと、割
としっかりとした声で「すみませんでした」と謝った。
テーブル席の方へ注文を取りに行っていたマスターが戻ってくる。
「生ビールください」と伝えると、隣でその人も「俺も同じのを」と言った。


「さっきまで、家で1人で飲んでたんです。
本当は、好きな人も含めて3人で飲む予定だったんですけど、色々あって…。
でもやっぱり1人でいると暗い気持ちになっていっちゃうから、ここに飲みに来て…」

 


3人、と聞いてピンと来てしまった。

いつも一緒にいる友達のうち
のどちらかが想い人なのだろう。私と同じフックチェーンネックレスをつけている方といえば…。


ヘーゼルナッツ色の瞳をした男性の顔が浮かんだ。もうずっと前にショップで接客したのは私だ。その縁もあって、ここでたまに会う時に挨拶を交わすくらいの仲ではある。


「ここもよく3人で来るところなんですよね…」

「ですよね」

「でも他に1人で行けるお店知らなくて。ここなら家から近いし」



とはいえ浅はかではないですか…?という言葉は飲み込むことにした。
ネックレスを見ただけで涙が溢れるほど、誰かを好きになったこの人を無闇に傷つけたくないと思ったからだ。


ちょうどマスターが、コースターにビールを置いてくれたところだった。
「乾杯」と言い合って、グラスを軽くぶつける。


そういえば、言葉を交わすのは今日が初めてかもしれない、とそこで気づいた。
最初に涙を見たせいか、勝手に打ち解けたような気持ちになっているけれど、向こうはむしろ涙を見られてしまったせいで更に緊張しているかもしれない。

なんとなく隣に座って、乾杯なんてして、飲み始めてしまったけれど、ここにいて大丈夫か?独りではない空間で、1人で飲みたかったのかもしれないのに。

申し訳なさと居心地の悪さがないまぜになって、しばらく黙ってビールを飲んでいた。
すると、彼の方から「今日、1人じゃなくなって本当に良かった」と言ってくれた。自分に言い聞かせるような口調だったからこそ、本心なのだと感じた。



「どんなところが好きだったんですか」

聞いてしまってから、良くない質問だったかなと思った。
しかし、彼の方は傷ついた風でもなく「そうだなぁ」と話し始めた



「どこがどう、という風に考えたことはなかったです。存在そのものが好きで、笑っていると嬉しくて。ただ、幸せでいてほしいって…。ずっとそんなことを思っていた気がします。
あの人が、男でも女でもどっちであったとしてもそんなことは関係なくて、本当に、ただ…好きでした」



純度100%の美しい想いを見たような気がした。

いくつかの恋愛経験を経て、恋愛とはどこか『勝ち取るもの』という風に感じている。
けれど、この人のこの恋にそういう概念は存在しないのだろう。
ただ、温かいだけのぬるま湯みたいな恋。勝ち負けじゃなくて、見守る愛。
そんなものが本当に存在するなら、この世界もまったく捨てたものではない。



「ありがとうございます」と無意識に発していた。

そんな恋をしてくれて、そんな恋の話をしてくれて。

ほとほと恋には疲れきっているし、恋がしたいなんてつゆほども思っていないけれど、やっぱりまだ私の中には恋をする余地がある。



心のどこか奥の方、きっと自分では手の届かないようなところにある大事なもの。

それは、恋する相手にしか触れられない領域だ。
1人きりで生きていては、こじ開けられない扉なのだ。

今、その扉から少し光が見え始めているのを感じる。


いきなり「ありがとう」と言われて困惑しているその人に、バッグの中から取り出した猫のパッケージのチョコレートを渡す。


「素敵なお話を聞かせていただいたお礼です」

「えっ」


いや、悪いですよ。俺の方が泣いてご迷惑おかけしたのに。
など、色々言っているが、全て無視して押し付けた。


「バレンタインにチョコレートをもらうくらいのご褒美があっても良いじゃないですか」

 


違う。

プレゼントしたかったのだ、私が。


今、私がこの人にあげられるものはチョコレートしか無いし、これが恋になるかどうかもわからない。
けれど、上手くいくかどうかなんて本当にどうでも良くて、ただこの人に何かをあげたいという気持ちだけが心にあることが嬉しい。

 


「もう少し、しましょうよ。恋の話」

 

 

fin.


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